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振り返り

小学生の頃何故いじめは起きたのか

振り返り
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タコピーの原罪を読んだ。

舞台は「小学校」
いじめが起きている学校で、
被害者と加害者の両視点を
「タコピー」と呼ばれる宇宙人の、
いじめとは無縁の純水な第三者視点を
交えて描かれるヒューマンドラマです。

この作品は第三者視点があるから
いじめへの
先入観が無く観られる事が凄く面白く、
加害者と被害者の視点を
対等に見れるのが見どころでした。

中身はとても衝撃的で、
内容にはっとさせられる事、

漫画と進み方自体もとても面白かったのですが、
そこに1つ疑問が浮かびます。

「小学生当時、
僕はいじめについて何か出来たのだろうか」

いじめへの非力さを語るこの物語を経て
今回はいじめの本質を見ながら
「いじめとは」を振り返ってみようと思います。

1.いじめを無くす事は出来るのか。

この作品を見る限り、
僕の過去を振り返る限り、
いじめが無くなる事は難しいが、
現状より減らす事は出来そう。

いじめの根は「個性の対立」
によるものだと感じているからです。

そもそもいじめとは、
あの子は何か気に食わない。
あの子はなにか異質で、
自分に個性が受け入れられなくなると、
否定され始めます。

それはその内うわさとして広がり、
「みんながいう事が正義」
として多数派が増える。

多数派が増えると気持ちは大きくなって
エスカレートする事もある。

結局は、個性が受け入れられない精神年齢の
未熟さ故に起こる、
人間の弱い側面なのかなと感じました。

個性、人と違った考え、人と違った好み、
人と違った見た目、、、
それはしっかりと存在します。
小学生の頃、
いやもっと前から存在するはずです。

個性が存在します。

ここから導き出せる
いじめをなくす1つの方法はそう。


「個性を認めること」なんです。

喧嘩をしたらどちらが悪いのでしょうか。
ふたを開けると答えは、
どちらも悪いがほとんどです。

被害者側だけ。加害者側だけ。
偏った視点だけを見ても拉致があきません。

海外でもそうです。
人種差別などはクラスのいじめの
延長線上にあるものと友人が言っていました。

つまり、世界的に見ても、
いじめを無くす事が出来ていない。
個性を認める体制が
出来上がっていないと感じます。

特に日本社会は
出る釘は打つ文化寄りと感じます。
もっと小学校の話し合いの場、
もっと広く言えば喧嘩の話し合いの場で、
どちらが悪いを論じるよりも、
相手は
こうゆう考えを持ってこの行動をしたんだ。
を論じた方が
遥かに有意義な話し合いになるんじゃないかな。

2.結論

精神の未熟さ故なら、
まして大人にも出来ていない人は多いのだから、
当時の自分(小学生)には難しい事だと思う。

全世界的にも。

過去のいじめの具体例とかを実際にとりあげて、
加害者、被害者の両視点を「理解」していく
そんな機会を増やせるようにしていくのが、
僕たち大人が出来る
「いじめ」についてへの対策の一歩なのかなー
とは思う。

被害者、加害者側からしたら
どうしようもない事もありそうだから、
そこらへんは無視したくない課題かも

ということで、
タコピーの原罪(上・下)
おすすめです!!




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