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自己紹介?笑

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こんにちは

このサイトの支配人のつばさです。

初めに自己紹介をしておこうと思います。

とは言ってもつらつら書くことが苦手みたいなので、

今は簡単に済ませようと思います。

いつか、編集を加えて「まし」になるかもしれませんが笑

自分を自分でみつめてみて

僕は、ADHDです。

僕にはこんな考えがあるんです。

実際にADHDである人の中には2タイプいると思うんです。

自分がADHDである事を嘆く人喜んじゃう人

気のせいかもしれないんですが、

最終的に後者の方にまわる人が大半な気がするんですよね笑

(まぁ、これは僕の感覚の話ですが)

それはさておき、

最初に言っておくと僕は後者の喜んじゃう人です。

得が多いんです。ADHDは。

生き方だったり、考え方だったり。

ADHDで得をかんじてるなぁと思う瞬間が沢山ある。

人の性格は、

先天的要素と、環境要因の二つが関わっていると言われている。

僕の場合きっとその先天性がADHDなのだろう。

その性格・・は、障がい・・・にもなりうるし、個性というギフト・・・にもなりうる。

どう取るかは自分次第なのだ

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経歴

伝説となった幼稚園時代

幼稚園時代、僕は耳と鼻が半分とれかけ、

額を真っ二つに割って病院送りになるほどの多動症だった。

それも、全部別々の事件だ!

友達に醤油と言って墨汁を飲ませ、

クラスみんなのパンケーキのシロップを使い切るなど

いわゆる典型的な、幼稚園を代表する問題児だったのだ。

当時6歳ほどの僕のクラスは卒業時に2歳児のクラスまで下がったが、

なんとか卒業する事は出来た。

僕はその幼稚園で後世で語り継がれる(問題児)伝説となったのだ。

言い訳の小学時代

僕は今思うと、好奇心が高い小学生だった。

まぁ特に頭も良くなかったから、

論理とかがあるとか何か道筋をたてて動くとかはしていなかったけど、

好奇心だけはあった。

小学生の頃から理科が好きで、

元素図鑑をもって覚えていたし、自由研究とかも友達とガチっていた。

何故僕が自分が好奇心があるやつだったかと思うその決め手は

「言い訳」

である。

当時僕は、こうやりなさいと言われたことには大体

「~だって○○じゃん!」と返していたのを覚えている。

大人は屁理屈をいってやりたくないだけとおもっていたと思うが

そうじゃなかった。

当時、でも本当の事じゃね?とずっと思っていたのだから。

それが僕の中の本当・・だった。

知りたかったのだ。納得したかったのだ。

興味があったのだ。当時の僕は。

あとはー

飼育委員長とバスケットクラブ長もやった。

憧れと、好奇心だった。

飼育委員長もウサギの餌でキャッチボールしてたのがばれてクビになりかけたが

そうゆうのも含めていい経験になった。

小学校のころから抱いた、

怒られる理不尽さだったり(ウサギの餌は悪かった。)、

そうゆう好奇心が、ちょっとずつ今の僕を形成していった。

中学校と高校時代

中学校でも学級委員をまたやってクビになりかけたり、

集団行動の部活が苦手で友達と対立したり、

やんちゃする事も多かったが

そんな中で大事な友達が増えた。

駆け抜けるような中学校時代だったが、

普通に中学生だった。

僕が頭を使うきっかけになったのは高校だった。

当時僕は赤羽にある「成立学園高等学校」という高校に通っていた。

ここは本命の公立が落ちて来たいわゆる抑えだったのだが、

ここの先生が良かった。

大体の先生は人をやる気にさせるプロだった。

本当にいい人たちが多かった。

高校1年生から受験に向けて頑張ると学校が言っていて、

当時は自称進学校め!とか思っていたけど

僕は入学時そんな頭良くなかったが、

1,2年のコツコツ勉強と、3年の自習時間2000時間がモノを言い

奇跡的に学習院大学という私立難関の物理学科に受かる事が出来た。

これは、努力もそうだが、運もよかった。

この結果、僕は頭のいいひとが周りにいる環境を手に入れ、

再び・・考える人となったのだと思う。

自分を構成するのは側近の5人と言われるように

頭がいい人を近くに置けたのはラッキー、運が良かった。

ADHDでこの環境を手に入れられたのは

本当にツイていた

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そして今。

そうして僕は今大学生を進行中である。

後期になると考え事が捗ることが多く、

いろいろ理由もあって留年することもあったが、

僕は今、どうするかを考え続けている。

P.S.留年費は出世払いとお父さんと約束しました。(炎上防止)

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