ADHDについて

生きるとは素晴らしいのではないか [生きる意味とは]

ADHDについて
この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

僕はふとした時に考える。

どうして、生きるのだろう。

ゲームで死んだとしても、その記憶は経験値となり

無駄にはならない。

だけど現実は違う

いつか死ぬのに、死んだら今までのモノが全て0に帰す。

いつか、無くなると分かっているものを、積み上げて何になるというんだろう。と

そう考えているうちに、僕はこう思った。

きっと生きている事に意味なんてものはない

引用:フェルミ研究所 FermiLab

この動画にもある通り、

生きている意味なんて、たまたま地球という人類に最適な環境があっただけで

そこら辺の雑草と何ら意味は変わりない。

でも生きる意味はある。としてその内容を語ってくれている。

だから今回、

生きるって素晴らしいのかもしれない。

と僕が考えた結果

感じた事を伝える事を目標にしようと思う。

スポンサーリンク

生きるとは

生きている意味は雑草と同じ位無いとさっき言いました。

僕にとって生きるとは、

やりたい事をひたすらにやっていく事。駆け抜けていく事。

やりたくない事はやらない

です。

やりたくない事をやることに意味なんてあるのだろうか?

将来の為。と言って、そんな抽象的なモノの為に生きている時間を使う事は

苦しい。それこそ生きている意味が感じられない。

お金は大切である。

でも絶対的なモノじゃない。

お金があれば幸せになれるのだろうか。

確かにお金があれば贅沢が出来て、やれることも増える。

けれどいくらお金があっても、

いくら物が買えても、幸せじゃない人はたくさんいるはず。

そう考えると、就職して、お金を稼ぐ。

はゴールじゃなくてプロセスである事に気付きます。

それよりも大事なのは、幸せを感じる事。

生きる事だ。

やりたい事を死ぬときに後悔しないようにやってやることだ。

僕等は本気を出せば、なんだって選べる。

好きな事に時間をさける。

就職、学校、そうゆう一般的にmustなもので悩むより

まず僕等は

生きる事に全力をささげる必要があると思う。

僕等はそれを、その気になれば全部選べる。

僕はそれを素晴らしいと感じます。

スポンサーリンク

僕等は一緒に生きている

僕は前項で、

まず生きる事を優先にするべきと書きました。

自分でやりたい事を選んで、ひたすらに駆ける。

では次に素晴らしいと思った事を書きます。

それは仲間の存在です。

人と向き合うという事は思ったよりも想像を絶するほど素晴らしい。

僕等は。

僕自身と、貴方は今この瞬間を一緒に生きています。

心から僕は思ったことを書いています。

こうした人とのやり取りは想像以上に素晴らしい

だから、それをなんだかんだで過ごしてしまうのは勿体ない。

僕等は、確実に今、

一緒に生きている。そうでしょう?

僕等は一緒に生きているんだと感じる為に

言葉を選んで気持ち伝える。

たったそれだけなのに、人は幸せを感じられそうです。

生きるって素晴らしくて、明日がワクワクする。

スポンサーリンク

まとめ

最近は勉強する意味だとか、理由だとか。

そうゆうものは教えてくれないで、

社会の現実ばかりを語る大人が多い。

(勿論、現実問題は外せないけど、それ以上に大事なものがあるでしょうという事)

こうゆう子供の疑問に対して、

面倒くさがって、話す事を拒む人もきっと多い。

でも、これは屁理屈だろうか。

いいや、違う。

根本であるここが一番大切なはずだ。

まず、生きる事。

仲間を大事にする事。

どれも、学校では教えてくれない

人間にとって最も大切なものである事のように僕は感じる。

コメント